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​千光寺が大切にしていること

本堂

地域の人が集まる、ひらかれたお寺だからこその安心。

千光寺では、四季の自然とともに、静かに心を整える時間を大切にしています。紫陽花をはじめとした季節の風景の中で、訪れる方がほっとひと息つき、穏やかな時間を過ごせる場所でありたいと考えています。ふと立ち寄りたくなる場所として。安心して手を合わせられる場所として。千光寺は、これからも人にひらかれたお寺であり続けます。

境内

境内

初夏には約一万株の紫陽花が境内を彩り、
石段や小道を歩きながら、季節の移ろいをゆっくりと感じることができます。山あいならではの落ち着いた空気の中で、手を合わせる時間だけでなく、心を整え、穏やかに過ごせる場所として親しまれています。

境内

木々に囲まれた静かな境内には、日常を少し離れ、穏やかに過ごせる時間があります。四季折々の自然とともに、手を合わせ、大切な人を想う場所として。千光寺は、訪れる方の心にそっと寄り添う空間を大切にしています。

お寺

長い年月を重ねてきた境内には、
自然とともに歩んできたお寺ならではの静けさがあります。季節ごとに表情を変える風景の中で、多くの人が手を合わせ、心を落ち着かせる場所として親しまれてきました。紫陽花の季節には、境内全体がやさしい彩りに包まれます。

カラフルなアジサイ

龍護山千光寺略年表

1180治承4年

栄西、千光明を発する地を求め、筑後国柳坂山に到り、薬師・弥陀・釈迦三尊像を彫刻し、山中の3ケ所に安置し、自銀山(柳坂山) 千光院(天台宗)を建立。後に領主革 野永平。植那となり、山林荘園を率施する。(寺記)。

1192建久3年

後鳥羽院の時、栄西、草野氷平の保護を受け、七堂伽藍、および塔中7ヶ寺を建立。 始めて禅規を立て、「院」を改めて白銀山千光寺とし、寺領12町の寄進を受ける(寺記)。

1193建久4年

4月7日、栄西、高良山に詣る。高良神8オの童に託して、栄西に毎月鬼宿の日(陰暦の大吉の日)に般若経読踊を請う。その夜、高良の衆徒も、夢告を受け、神領2町2反を 千光寺に附し、読舗の供田とする(寺記)。

1195建久6年

栄西、博多に聖福寺を創建する。

1198建久9年

栄西「興禅護国論」を著す。

1215建保3年

栄西没する(75才)。

1353正平8年(文和2年)

懐良親王、高良山に在陣。この頃から草野永幸、幕府方から宮方に転し、探題一色軍と合戦する。

1359

正平14年 (延文4年)

肥後-筑後の宮方軍、高良山、柳坂。耳納に陣し、筑後川を渡り、大友。小式の幕府軍 と大原で決戦する。(8月8日、懐良親王、大原の戦で深傷を負い、千光寺の近く、答山城で死去、千光寺に葬ると伝える「谷山城由来記」)。

1375

天授元年 (永和元年、

懐良親王、征西将軍職を場の良成親王に譲る。

1377天授3年

「永和」の北朝銘ある梵鐘、千光寺に寄進される。

1383弘和3年 (永徳3年)

懐良親王死去(死去地は、肥後八代・筑後星野・豊前中津など諸説あり)。(一説に千光寺裏山にお火化所ありという)。

1420応永27年

後小松天皇より「龍護山」の勅額を賜い、山号を改称、再三の火難を封じ懐良親王の 御霊を譲るためという(寺記)。

1502文亀2年

草野重永、周防国富田龍文寺より黙蓋禅師を招き、千光寺を中興、以来、曹洞宗に改める(寺記)。

この頃(時期不詳)

三代起雲、生葉郡大円寺を再興、曹洞派とする。四代諦庵のとき御井郡円照寺を曹洞宗に改まる。以後相次いで末寺が建立される。

1587天正15年

豊臣秀吉・九州平定の時、吉見獄に陣す。増田長盛・長束正家に命じ濫妨狼藉(らんぼうろうぜき)の制札を千光寺門前に建てる(寺記)。

小早川秀包(毛利秀包)久留米城に入り、千光寺に客殿・食堂・仏殿を建立し、父・元就の霊牌を安置して、寺領六町を寄付する(寺記)。

1588天正16年

草野家清、秀吉の命を受けた蜂須賀家政に肥後南関で誘殺される(草野家亡ぶ)。

1619元和5年

忠政、当寺八代縦寅に帰依厚く、客殿・書院・山門を再興し、山林を寄進する(一説に此れから曹洞派に改宗という)。

1620元和6年

忠政、江戸で病没。重臣ら千光寺境内に供養塔を建立する。

1621元和7年

筑後国仕置奉行・松倉豊後守、幕府の命を受け寺領100石(田中高、但、玄蕃高で51石)を安堵する。

1621元和7年

有馬豊氏入国、筑後8郡21万石を領す。千光寺領を先代のまま安堵する。

1629寛永6年

千光寺、一国一寺の曹洞宗の宗禄御定により、筑後国の本寺となる(寺由来)。

1693元禄6年

三谷玄玄(藩の御抱絵師)涅槃図を拝写し、翌年千光寺に荘厳される。

1700元和13年

中門を修理する。

1703元禄16年

大門破壊につき、瓦葺にて修理する。

1710宝永7年

食堂・大庫裡・土蔵・馬屋・雪隠建替えられる。

1718享保3年

客殿建替えられる。(15代月堂の代、寺檀の再整備を図る)。

1720享保5年

書院・茶室建てられる。

1745延享2年

懐良親王の供養塔、星野村大円寺より千光寺へ移される(久木原蘭菊池家文書)。

1764宝暦14年

本寺開山千光国師碑(肥前甘露山元皓大潮選文)建立される。

1767安永4年

有馬河内の母、蓮心院、蓮絲僧袈裟を寄進する。

1786天明6年

山本郡大庄屋、柳坂庄屋、中泉庄屋及び当寺総旦那、半鐘を寄進する。(作者植木家4代昌尚)

1935昭和10年

持地俊道31代住職となる。

1975昭和50年

持地俊勝32代住職となる。

1989平成元年

岸美江、夫(俳号秋渓子)の菩提を弔い文珠菩薩像を寄進する。

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